ジャン・プルーヴェ(Jean Prouve)について

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ジャン・プルーヴェ

ジャン・プルーヴェ
[Jean Prouve]

説明
1901年パリに生まれる。アール・ヌーヴォーの巨匠、ヴィクトール・プルーヴェを父に持つ。アール・ヌーヴォーの環境の中で鉄工芸の技術を習得し、鉄という素材を熟知するようになる。

アール・ヌーヴォーの一大拠点であったナンシーの地で多くの工芸品に囲まれて育つことになる。ジャンが特定の様式にとらわれることはなかったが、「私は芸術家と学者の世界で育ち、その世界は私の心にたくさんの栄養を与えてくれた。」という彼自身の言葉が示すように、ナンシー派からの影響は決して小さくはない。

1916年、金属工芸家、エミール・ロベールのもとに弟子入り。その後、アダルベール・サボーの工房に移る。パリの鉄工所で働いたり、騎兵隊への従軍経験などを経た後、1923年に独立。

自らの工房・スタジオをナンシーに構え、鉄製のランプやシャンデリア、階段の手摺などの製作・デザインを手掛けた。

1925年、父の弟子であった画家、マドレーヌ・ショットと結婚。
1927年、ロベール・マレ=ステヴァンスからレーファンベール(ライフェンベルク)邸の入り口格子のデザイン・制作の依頼を受けたことを契機として、ル・コルビュジエを中心とするサークルと関係を持つようになり、1930年、マレ=ステヴァンス、ル・コルビュジエ、シャルロット・ペリアンらと共に、「ロジックとバランスと純粋性」をマニフェストに掲げる現代芸術家連盟(Union des artistes modernes)の創立メンバーとなる。

戦時中は、レジスタンス運動に積極的に関わった。その政治活動は広く知られるところであり、1944年にはナンシー市長に選出された。他にも解放後諮問会議や、技術教育部門監査員など、公的な役職を歴任している。

1947年、ナンシー郊外のマクセヴィルに新工場を開設。家具の製造を続けると共に、建築部材としてのアルミの可能性を追求する。アルミ製のプレファブ小屋を何百棟も製造し、アフリカに送付した。マクセヴィルの工場の株主となったフランスアルミニウム公社と衝突し、組織再編とともに工場を去ることになる。

1957年、ジャン・プルーヴェ建設を設立。パリに活動拠点を移し、Conservatoire National des Arts et Metiersにて13年の間、教職にも就いた。1971年、パリ、ポンピドゥー・センターの国際設計コンペにおいて審査委員長を務め、リチャード・ロジャースとレンゾ・ピアノによる案を一等に選出する。
1984年3月23日、故郷であるナンシーにて息を引き取った。82歳であった。

建築家の資格を持たず、そのためか自らを建築家(architecte)ではなく建設家(constructeur)と呼んだプルーヴェは、スケッチをする際、全体像からではなく、柱や梁のディテールから描き始めたと言う。また、「建築家のオフィスの所在地が部材製造工場以外の場所にあることは考えられない」という言葉にも、プルーヴェのものづくりに対する哲学を読みとることができる。思想を持っていたプルーヴェにとっては、建築は「静的」なものとして捉えていない。
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